プロジェクト実行者
ストーリー
今回、映画「キスカの花」
〜知られざる戦地・アリューシャン列島の物語〜
を完成させるため、プロジェクトを立ち上げました。
この映画は、2014年国際エミー賞ノミネート小川典監督によるドキュメンタリー映画で、極北の地、アリューシャン列島で繰り広げられた第二次世界大戦中のキスカ島・アッツ島における「忘れられた戦争」に隠された秘話と、75年経ち戦後初めて日本のカメラが戦争当時のまま残っているキスカ島を訪れる作品となります。戦争を知らない私たち世代に、そして後世に伝え続けていきたいと思っております。
(2017年6月より1ヶ月間、アメリカアラスカ州のアリューシャン列島へ行き、アッツ島、キスカ島、ダッチハーバー、アンカレッジ、ボストンでの撮影になります。)
(アッツ島・キスカ島
アリューシャン列島西部に位置し、アメリカ合衆国アラスカ州に属する島。
1942年、日本軍駐留時の痕跡が今も残る貴重な場所。
アメリカの歴史遺産・保護区であり、立ち入りが禁止されている。)
(文末には今回キスカ島・アッツ島へ同行いただけることになった杉山正己様からのコメントも掲載しております。ぜひご一読いただけましたら幸いです。)
(2017年5月情報追加)
※アラスカでの75周年追悼記念式典にて
杉山正己氏・小川典監督が運営サイドからの正式要請を受け
登壇スピーチをすることが決まりました。
(2017年6月2日〜アラスカ州ダッチハーバーにて登壇)
1942年7月 戦地の夫から篠田千代さんの元に届けられたキスカ島の花
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【目次】
①小川監督からのメッセージ
②あらすじ
③プロジェクト詳細
④杉山正己様からのコメント
⑤監督プロフィール
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①【小川典監督からのメッセージ】
〜映画製作に向けて〜
「98歳の女性の元に、夫が眠るキスカ島の花が67年ぶりに届いた」
全ての始まりは、2009年に目にしたこの新聞記事でした。
女性の夫は、太平洋戦争により徴兵された民間人。
駆潜艇の艇長として、極北の地・アリューシャン列島に浮かぶキスカ島に配属。戦地から妻に宛てて送った手紙に添えられていたのが、キスカの花。この手紙の投函直後、米潜水艦グラニオン号により、キスカ沖に沈没。
67年後に、女性が再び手にしたキスカの花の送り主は、その米潜水艦グラニオン号の艦長の息子たちだった…
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉だけでは説明できない「何か」に導かれるように、この女性の元へ…
そこで目にしたのは、67年前のキスカの花を今も大事に保管し、出征前夜の出来事を昨日の事の様に語る「妻」の姿でした。
時間、国境、歴史を超えて届けられた二つのキスカの花。この花に込められた遺族の思いを辿ると、その背景には、極北の地の知られざる物語がありました。
霧と暴風に包まれ、目の前も見えない程のアリューシャン列島の苛酷な環境
タイタニック号よりも難しいと言われた米潜水艦グラニオン号の発見
日本軍に連行され、北海道・小樽に収容された島の先住民・アリュート人たち
そのアリュート人たちが残した、民族の歴史を象徴する貴重な品々
戦時下、秘密裏に米兵パイロットの墓を立てた日本の兵士たち
玉砕直前まで綴られていたある日本兵の日記と、本の間に挟まれた花
日本軍が戦時中に占領した唯一のアメリカ領である、キスカ島とアッツ島。
「アッツ島の玉砕」と「キスカ島からの撤退作戦」。
二つの出来事だけで語られるアリューシャンでの戦いの裏には、語られるべき数々の物語が隠されていました。
今回実現するキスカ島・アッツ島への取材を通して、これらの事実に光をあて、亡くなった人たちの想い、その想いを辿り続ける遺族たちの活動を、少しでも多くの人に伝えたい。併せて、多くの関係者が「行きたくてもなかなか行く事が出来ない」アリューシャン列島の景観、戦時中に多くの兵士たちが目にし、手にしたという美しい花々を撮影し、そこに込められた想いを広く知らせることが出来ればと思います。
2017年5月 小川 典
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②【あらすじ】
「キスカの花」
〜知られざる戦地・アリューシャン列島の物語〜
プレゼン用動画
https://youtube.com/watch?v=dd9PN_IWzSo
今現在もキスカ島に座礁している戦時中の船
1942年7月 戦地の夫から篠田千代さんの元に届けられたキスカ島の花
極北の地、キスカ島・アッツ島に咲く美しい花。
この花には国や人種を越え、多くの人々を魅了する壮大なドラマがあった。
1942年6月。第二次世界大戦の最中、日本軍は世界一苛酷なベーリング海に連なるアリューシャン列島へ侵攻し、アメリカの領土であるアッツ島とキスカ島を占領した。暴風雨と濃霧に覆われた苛酷な状況下での戦いは熾烈を極め、戦没者は6000人を越えた。
極北の地で行われたこの「忘れられた戦い」には、多くの民間人が巻き込まれ、戦後70年以上経った今でも、遺族たちに大きな影響を与え続けている。
—駆潜艇の艇長として徴用され、キスカ島で撃沈された日本郵船の船長
—66年間「消息不明」とだけ伝えられて来た、米潜水艦グラニオン号を
捜索する遺族たち
—日本軍の占領後に捉えられ、北海道・小樽に強制収容されたアッツ島の
先住民族・アリュート人たち
二度と故郷に戻ることが出来なかった彼らが残したものが、島で摘んだ花や手紙、当時撮られた貴重な写真の数々。そんな想い出の品を足がかりに彼らの軌跡を辿り、戦後一般人が立ち入る事が出来なかった「無人島」へ上陸する。
今回特別な許可の下、日本のカメラが初めて上陸するキスカ島。最新の4Kカメラが捉えるのは、戦争から時が止まったままの島の姿。そこにあるのは、当時の日本軍が残した高射砲や座礁船、日本兵が立てた米兵の墓、そして彼らが想いを託した島固有の美しい花々。
日本、アメリカ、そしてかつて島に暮らしていたアリュート人。彼らの目には、今のアッツ島とキスカ島はどう映るのか。
「極北の島」で行われた「忘れられた戦い」の裏には、時や国を越えて奇しくも繋がっていった遺族たちの壮大なドラマがあった。戦争から75年。知られざる戦地・アリューシャン列島の全貌を描き出す。
▼キスカの花:タイタニック号よりも困難な捜索を実現した日米遺族の絆
2008年。岐阜市で97歳を迎えた篠田千代さんの元に、一輪の花が届けられた。それは、極北の地アリューシャン列島にあるキスカ島の花。
千代さんはこの花に見覚えがあった…
太平洋戦争開戦直後の1942年、日本軍第27号駆潜艇の艇長としてキスカ島に出征中だった夫・勇さん(当時37)からの最後の手紙と共に添えられていたのが、キスカ島の花だった。この手紙の直後、第27号駆潜艇は、米軍の潜水艦グラニオン号の砲撃を受けて、全乗組員81名と共にキスカ沖に沈んだ…
夫の形見となったキスカ島の花を、再び手にすることになった千代さん。さらに驚くべき事に、この花の送り主は、米潜水艦グラニオン号の艦長の息子たちだった。夫の命を奪った米潜水艦艦長の遺族が、何故70年近く経った今、千代さんにキスカの花を送ってきたのか?
二つのキスカの花に込められた想いを辿っていくと、知られざる極北の地での日米両軍の戦いの詳細や、タイタニック号よりも困難と言われたキスカ沖の海底探査など、日米遺族たちの70年におよぶ奇跡の物語が見えて来る。
篠田千代さんと1942年7月戦地の夫から千代さんの元に届けられたキスカ島の花
米潜水艦グラニオン号艦長と家族
キスカ沖海底に沈むグラニオン号の発見
▼アッツ島の花に魅せられた写真家の旅路
1942年6月、陸軍省報道部嘱託としてアッツ島に上陸し、無血占領の様子を撮影した写真家が、杉山吉良さん。雪の中の行軍や占領の様子を動画フィルムで映すと共に、杉山さんがカメラに捉えたのは、アッツ島で暮らしていたアリュート人と、厳しい環境下で咲く島の花々だった。
戦後36年経ってからようやく許可を得た杉山吉良さんは、再びアッツ島を訪れ、美しい島の花だけを撮った写真集を作った。
「玉砕した日本軍兵士の血を吸い、美しく色づいた花」を広く後世に伝えるという使命の為に…
そして今回、アッツ島とキスカ島への撮影に同行するのは、杉山吉良さんの最後の弟子である写真家の杉山正己さん(同姓だが血縁関係は無い)。
師匠の写真に写るアリュート人の少年の消息を追い、アリューシャン列島を旅し、大人になったその少年に、43年前の写真を手渡した杉山正己さん。彼もまた、美しいアッツの花に魅せられた1人だ。
杉山吉良さんの著作(左)、杉山正己さんの著作(右)
2017年6月にアラスカ・ダッチハーバーで行われる「ダッチハーバー襲撃・アリュート人避難から75周年の追悼記念式典」にも出席し、今も故郷の島に戻れずにいるアラスカのアリュート人たちに、師匠と自らが撮った過去の貴重な写真を見せる予定の杉山正己さん。師匠から続くアッツ島、そしてアリュート人たちとの交流を追う。数々の貴重な写真の中に写るのは…
—戦争前、アッツ島で暮らすアリュート人たち
—戦時下、北限の花を摘んで押し花を作る日本兵
—戦後、共に手を取り合い、慰霊の旅をする日米双方の退役軍人たち
戦争により運命が大きく変わることになった、たくさんの人々。
終戦から70年以上たった今尚続く、「戦争から切れない人間の旅」を追いかけ、極限の地に咲く美しい花に込められた様々な想いに迫る。
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③【プロジェクト詳細】
ドキュメンタリー映画
「キスカの花」
〜知られざる戦地・アリューシャン列島の物語〜
撮影時期:2017年6月
(アッツ島・キスカ島上陸撮影予定:6月11〜25日)
(ダッチハーバー爆撃・アリュート人避難から
75周年の追悼記念式典:6月2〜4日)
完成時期:2017年内予定
出品予定:2018年カンヌ国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭、他
制作:「キスカの花」製作委員会
制作協力:Ortus Japan
ディレクター:小川 典
プロデューサー:平野 晃弘
※
アラスカでの75周年追悼記念式典にて
杉山正己氏・小川典監督が運営サイドからの正式要請を受け
登壇スピーチをすることが決まりました。
【今後のスケジュール】
6月2日〜4日:75周年記念式典@ダッチハーバー
6月5日〜6日:アンカレッジ取材
6月7日:75周年記念式典@アンカレッジ
6月8日〜11日:アンカレッジ取材
6月11日:アンカレッジ〜アダック
6月12日〜24日:キスカ島〜アッツ島
6月25日:ダッチハーバー〜アンカレッジ
6月26日:ボストン・エイブリー家訪問
6月末〜7月:帰国後、映像資料を遺族の方へ
7月〜12月:映画制作
2018年:国際映画際への出展
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④【杉山正己氏からいただいたコメントを掲載します】
杉山正己(Sugiyama Masami)のアリューシャン渡航歴
それは35年前の1982年夏から始まった。
世界のクレジットカードVISA、その翼下、日本のVISAカード会社が企画した、「現金は一切持たず、カードだけで世界の旅へ」に応募した杉山。3,829人の応募者からまずは10人が選ばれ、9人は希望する観光地に、1週間の「特派員」となった。しかし、ヨーロッパ行きを志望した杉山は落選。最後の審査で、渡航の希望者0であった「アラスカ特派員」に決まった。それは、青天の霹靂(へきれき)であったという。
初めて訪ねたアンカレジ。杉山が一番に向かったのは、歴史美術博物館(Anchorage Museum of History and Art)であった。そこで、同館ボランティア職員のエミ・チャンス(Ms.Emi Chance)さんと知り合う。ご主人は米国人で、地元のビジネス経営者(すでに夫妻は他界)だった。
杉山はアラスカ当初から北太平洋に首飾りのように連なる、アリューシャン列島に興味を抱き、数多くの展示品からアリュート民族の生い立ち、現地の戦争の歴史を学ぶ一方、アラスカの親切な人たちと交わりながら昔話を聞いていく。そして、セスナ機1機、VISAカードでチャーターした。アラスカ大地を空撮した後、地元紙には、「1000ドルの土地はありますか」と、カード払いの一行広告を出した。「あなたは夢を見ているのか」と、早速返事があったという。それからメンデンホール氷河や花の写真を撮って、レポートをまとめ上げた。
帰国後、杉山のアラスカレポートは、VISAカード会社の懸賞に応募した3,829人中の10人から最後の1人に選ばれ、MVP賞を獲得する。その審査委員、直木賞作家・藤本義一氏の目にとまり、藤本氏が当時、大阪のテレビ局で司会する深夜の人気番組11PMに出演した。藤本氏もすでに他界された。
こうした運がきっかけとなって、杉山は毎年夏が来ると、アラスカに出かけ、写真を撮る傍ら帰国後、アラスカ・アリューシャン列島に関する古書を読み漁ったという。
その後1984年のある日、杉山は、恩師の写真家・杉山吉良(Sugiyama Kira,杉山とは同姓だが縁戚はない)が、第二次大戦中の1942年、陸軍報道班員として、占領したアリューシャン列島・アッツ島で撮影した写真を、恩師宅のアルバムで見る機会を得た。そして、アリュート少年と日本兵の写真、その二人の笑顔に魅了されてしまう。
恩師は杉山に、「アッツの少年たちは、アトカ島に移り住んだと聞いている」と語り、「もう一度、会ってみたいね」。
恩師のその言葉が、きつかけとなって、杉山の二人探しの長い旅が始まったのである。
翌1985年夏、杉山はアトカ島に向かう。戦後、アトカ島に移り住んだ、旧アッツ島民に会うことが許されたのだ。そして、すでに49歳になっていた、少年ニック・ゴロドフ(Nick Golodoff)に会えた。恩師が戦時中、アッツ島で撮った写真と文が掲載された「アリューシャン戦記」(1943)の復刻版を、彼に手渡し、恩師の消息も伝えることができた。
ニックは、杉山正己をSamと呼んだ。「写真家のスギヤマ(杉山吉良)さんによろしく。将来、僕も本を出したい」と話した。
1985年のアリューシャン取材では、戦時中、日本軍によって、アッツ島から小樽に連れて行かれたアリュート人7人の話を聞き取ることができた。帰国後、杉山は恩師に、ニック少年の無事を報告。
その後、恩師の勧めもあって、取材の成果をまとめ上げ、1987年、『一枚の写真を追って・アリューシャンを行く』を出版した。同年、訪れたダッチハーバーでは、ヘンリー・スワンソン氏(Henry Swanson)から戦争中の話を聞く。
1988年には、かって、アッツ島で恩師が撮った、一枚の写真に写る、元日本兵の金見氏 (Kanami)を、北海道で探し出した。その7年後の1995年、ニック・ゴロドフ氏は59歳となり、「戦時中、収容された施設や病院のあった小樽市を訪れる!」。この朗報をアラスカからの知らせで知った杉山は、ニック氏と元日本兵、二人の『53年目の再会』を企画した。
その時、病気療養中の金見氏は77歳であったが、夫人と札幌まで出向いてくれた。それに同行した杉山は、一方のニック氏を小樽から札幌に呼び寄せ、二人の再会が実現。53年目の再会写真はホテルの一室で撮影した。杉山は写真を撮りながら目頭が熱くなったという。
杉山のアッツ島、単身取材が実現したのは、1992年のことであった。二人の再会3年前のことで、VISAカードのチャレンジ企画からは、10年の歳月が流れていた。
杉山のノンフィクション二作目の『さよなら、また会う時まで 辰口信夫からの贈り物』(2004年刊)に書かれている。米国から許可の得られた杉山は、同年7月、単身アッツ島に渡る。1週間分の食料持参。濃霧と厳寒の中で、初めてテントを張る。水だけは米国沿岸警備隊が支給してくれた。アッツ島からアンカレジ市に帰った杉山は、エミ・チャンス夫妻の友人達と夕食の宴を囲んだ。
「アッツ帰りのSamは、ハワイに行ったこともないようだ」。この話に宴席が盛り上がると、彼らの全面的な支援によって、杉山は帰途初めてのハワイ旅行を体験する。併せて、パールハーバーでの慰霊も行った。杉山は、「アラスカの人たちの友情には、感謝の毎日です」という。
その後、1997年には、アッツ島3日間の再訪が許され、テレビ局の日本人総勢4人。その時も単身テントを張った。
アッツ島は美しい高山植物の花花が咲き合い、キツネや渡り鳥、海獣たち、皆が短い夏を謳歌しているようであった。
杉山正己の著書は、前掲の『一枚の写真を追って アリューシャンを行く』(1987、ISBN4-7900-0188-1、在庫少。経年劣化の染みあり、それでも良ければ注文可) のほかに、アッツ島で戦死した日本軍の青年医師の足跡を追った、『さよなら、また会う時まで・辰口信夫からの贈りもの』(2004、ISBN4-7900-0305-1)がある。
著作2冊に掲載された写真の一部は、すでに米国の出版物に転載・引用されている。
『ATTU BOY (A YOUNG ALASKAN’S WWⅡMEMOIR)』(Nick Golodoff、2015、University of Alaska Press) や『LAST LETTERS from ATTU』(Mary Breu, Afterword by Ray Hudson,2009, ALASKA NORTHWEST BOOKS )などである。杉山の3作目は現在、取材執筆中とのこと。
今回、2017年6月、米国で開催される、アラスカの戦争75周年記念式典(ダッチハーバー、アンカレッジ)では、米国側からスピーチ依頼があり、杉山と小川典氏が登壇する。
杉山は、「これまでアリューシャン列島取材の際に、世話になった、アラスカのアリュートの方々、そして、戦時中の小樽でアリュートを親身に援助した日本人、さらには恩師、写真家・杉山吉良先生、一番弟子の写真家・小林晃先生、アラスカのエミ・チャンス夫妻も、天国から喜んでくれるでしょう」。
最後に、「アラスカ、ベーリング海、その冷たい北の空と海、アリューシャンの島々で、尊い命を犠牲にされた、大勢の米国・カナダ他、連合国軍の兵士や市民各位、そして敵対するアッツ島で友軍の救援のないまま、亡くなった山崎部隊の日本軍の兵士、アッツ、キスカの海域で戦火に巻き込まれ、亡くなった大勢の方々のご冥福を祈りたい。いまこそ、私たちは過去の悲惨な戦争の歴史を教訓にして、平和な世界を築いていかなければならないのです」と、言葉を結んだ。(2017年5月)
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⑤【監督プロフィール】
小川 典
ニューヨークで映像制作を学び、以降CM・映画・TVドキュメンタリー等、様々な番組を手掛ける
【近年の主な作品】
映画:
「Quarter (クォーター)」(カラー 96分) 2009年劇場公開作品
TV:
「ノンフィクションW 触れる感じる壊れる絵本」
(wowow)*2014年国際エミー賞アートプログラム部門ノミネート作品
「体感!グレートネイチャー 聖なる泉セノーテ マヤの地下世界を行く」
(NHK)
「戦後70年特番 発掘!戦場の叫び 〜元兵士1500人が伝えたい真実〜」
(BSジャパン)*2015年放送文化大賞/民間放送連盟賞エントリー作品
「特別番組 謎の狩人バショウカジキ カリブ海大集結を追う」
(NHK)2016年6月放送
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【アリューシャン列島】
アメリカ・アラスカ半島からロシア・カムチャッカ半島にかけて、1900キロ以上にわたって弧状に連なる列島
【アッツ島・キスカ島】
アリューシャン列島西部に位置し、アメリカ合衆国アラスカ州に属する島。
1942年、日本軍駐留時の痕跡が今も残る貴重な場所。
現在アメリカの歴史遺産・保護区であり、立ち入りが禁止されている。
アッツ島地図
キスカ島地図
【タイトルについて】
映画タイトルである「キスカの花」は
現時点での仮タイトルであります。
キスカ島、アッツ島、ダッチハーバーなどでの
撮影・取材を元に、最終的に映画タイトルを決定させて
いただきます。
【写真提供】
Brendan Coyle
http://press.uchicago.edu/ucp/books/book/distributed/K/bo19092773.html
サポーターからの応援コメント
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このプロジェクトはAll in型です。目標金額の達成に関わらず、プロジェクト終了日の2017年07月28日までに支払いを完了した時点で購入が成立します。
「キスカの花」制作支援メンバー+現地デジタル写真集
3,240円(税込)
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ご支援心よりお待ち申し上げております。
2)キスカ島、アッツ島、アラスカで撮影したデジタル写真をデジタルデータにてお渡しします。
「キスカの花」本編DVDをお届けします。
5,400円(税込)
1)ドキュメンタリー映画『キスカの花』
〜知られざる戦地・アリューシャン列島の物語〜
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10,800円(税込)
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4)キスカ島、アッツ島、アラスカで撮影したデジタル写真をデジタルデータにてお渡しします。
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108,000円(税込)
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540,000円(税込)
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1,080,000円(税込)
1)本編のエンドロール特別枠にお名前をクレジット(特別枠)
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