プロジェクト実行者
ストーリー
- 本物の木から生まれた“木の子”ゆえの至極の美味
- 未来の子供達に安心して口に出来る食べ物を
- 原木シイタケが希少なものとなった真の理由とは?
今や市場にほとんど出回る事の無くなってしまった幻の『原木シイタケ』
恐らく”本物”を食べた事がある方の方が少ないのではないかと思います。
安価な“菌床シイタケ”が覇権を握り、本物の“木”から生えた『木の子』はどんどん生産量が減っています。
これは、それでも今尚、原木シイタケの本物の味にこだわり闘い続けている国内でも珍しいシイタケ農家の奮闘物語。
一口で感動をお約束する希少な至極のシイタケ
あなたも一度体験してみませんか?
肉厚でジューシーな”森の木の子”を是非ご堪能くださいませ。
原木シイタケを愛し命を懸ける男
岐阜県で原木シイタケ農家を営み28年。
この本物のシイタケを後世に残したい!
未来の子供達にも安心できる食べ物を口にしてもらえるように。
その想いで苦しい市場環境の中でも原木にこだわり、愛情込めて毎日シイタケを栽培し続けています。
なぜMakuakeにチャレンジ?
まず、その経緯と想いについてお話させてください。
私は、シイタケ農家の両親のもとに6人兄弟の次男として生まれました。
小学生のころから無理矢理シイタケ栽培を手伝わされていたので、当時は正直、それが嫌で嫌でたまりませんでした。
そこで、私は18歳になるやいなや、家業とは別のアパレル会社の営業に就職。
働き始めて1年が経った頃、私の人生を変える最初の1つ目の大事件が勃発。
この時はまさか、私が後にこんなにシイタケを愛し、自分の大規模農場を持つとは夢にも思っていませんでした…
家業の危機
重労働のシイタケ栽培で酷使した父の腰が悪くなり緊急で自宅療養になりました。
そして、全ての負担が母にのしかかり、母も追いかけるようにケガで入院してしまったのです。
突然の家業の危機に次男である私は、家業を手伝わなければならない状況になりました。
とはいえ、今の仕事を辞めてシイタケに全てを捧げる気持ちはまだ無かった19歳の私。
その為、昼は営業、夜は家業の手伝いという過酷なダブルワーク生活がスタートしたのです。
くしくもちょうど、海外産の安い”菌床シイタケ”が市場に出回り始め、原木シイタケに暗雲が立ち込め始めた時期の事でした。
安価な海外産しいたけと父の言葉
当初はダブルワークで何とかしのいでいた家業のしいたけ栽培。
でも、遂にその時は来てしまったのです。
安価な海外産菌床シイタケが市場を席捲。
家業の原木シイタケは、その存続岐路に立たされるまでに危機的な状況を迎えていたのです。
その事を入院している父の元へ相談に行った時、言われた言葉は今でも鮮明に頭に残っています。
父は市場がどうあれ、本物にこだわる姿勢を貫く強い意志を持っていました。
本物の木から育てる原木シイタケ。
栄養剤で菌を育てる菌床シイタケ。
父は原木シイタケ以外の選択肢を1mmも考えてはいなかったのです。
私も父のように本物を自信もって売る仕事がしたい!
私はこの瞬間、アパレルの営業を辞め、家業の原木シイタケ農家を継ぐ事を決意しました。
我が家は、市場的には厳しい逆風の中、原木シイタケにこだわるという選択をしたのです。
そうして私たち家族と菌床シイタケとの闘いが幕をあけました。
遂に自分の農場設立
『自分の農場を持ちたい!』
23歳になった頃、実家から40kmの高冷地(岐阜県白川町黒川)に農場を設立しました。
借金2000万円を抱えての決死の覚悟でした。
それが今の黒川農場
10000本の原木(ホダ木)からの新たな一歩でした。
1年目から本物にこだわり、生産を開始!
その結果、寒冷地の気候の影響で悪性の雑菌に原木がやられてしまい、3000本もの原木が焼却処分に追い込まれるなど苦難の連続でしたが、一歩ずつ乗り越え必死に前に進む日々。
少しずつ自分の農場が軌道に乗り始めた矢先。
市場ではとんでもない事が巻き起こっていたのです。
中国産菌床しいたけ襲来
2000年に差し掛かる頃、少しずつ市場に流れ込んできていた中国産菌床シイタケが遂に市場に溢れ、シイタケの市場価格が急激に下落していったのです。
市場に全量卸していたシイタケの卸価格は、一時1パック5円という信じがたい価格に。
他の多くのシイタケ農家同様、菌床シイタケに向けて舵を切らなければ淘汰されてしまうという絶壁へと追い込まれてしまいました。
実際、ほとんどの原木シイタケ農家さんは、当時の数年前から菌床シイタケにシフトし、既に原木シイタケ農家は日本でも数えるくらいに減っていたのが実態です。
ここままだと家族を路頭に迷わせてしまうかもしれない…
私は、不安で頭がいっぱいでした。
決断の刻
私の決断は…
原木シイタケにこだわり闘いを続ける
というものでした。
父の言葉を思い出したのです。
その言葉に心打たれて始めた原木シイタケ栽培。
こんな所で諦めたくない!
その想いだけで私は決断したのです。
これがいばらの道になる事は簡単に想像できたのに…
3年以内に市場出荷0
→直接取引100にする!
それが私の選んだ道でした。
3年で結果が出せなければ廃業。
通常、農家は市場に全量出荷して販売するのが慣習です。
しかし、市場には中国産菌床シイタケが溢れ、価格が底打っている。
『そんな中でも本物の味を求める人は絶対に居るはず!』
『そういう所にのみ直接販売して生き残るんだ!!』
その想いだけを支えに、私は死にもの狂いで営業に奔走しました。
最初はどこに行っても門前払い。
安い菌床シイタケに慣れた消費者さんたちの心を取り戻すには、根気と時間が必要でした。
3年で起きた3つの奇跡
結論から先に言うと、3つの大手卸先を掴む事ができ、それだけで大量生産している私の農場の原木しいたけが全量出荷できるまでになりました。
2001年の事でした。
本物にこだわる姿勢を崩さず、戦い抜いてきて良かった。
やっぱり、本物の味を探し求める消費者の方は残っていたんだ。と。
これで原木シイタケの未来も安泰。
となれば、どれほど楽だったか…
実は、原木シイタケが今、国内でも生産者がほぼいない本当の理由。
それは、想像すらしていなかった、この先待ち受ける残酷な出来事によるものなのです。
しいたけブラザーズ設立
大手の卸先様の心を掴み、しばらく事業は軌道に乗り生産量を増やす中、長男、そして次男の私に続き、三男も合流した2004年
3兄弟が作る原木シイタケの会社
(有)しいたけブラザーズを設立。
そのキャッチが目立ったことも後押しとなり、TV取材も入ったりして会社は拡大。
安価な菌床シイタケから、徐々に消費者の心を取り戻し始めたのです。
そして、時は2011年、信じられない大惨事が日本を襲う事になります。
福島原発事故
原木シイタケと福島。
そこには切っても切り離せない強い結びつきがあったのです。
実は、原木シイタケを育てる原木(ホダ木と呼ばれる木)のほぼ唯一の大産地が、この東北地方だったのです。
事故による大惨事はもちろん悲惨なもので受け入れがたいものでしたが、その後、ご存じの方も多いかと思いますが風評被害も甚大でした。
昔から木炭の産地として有名だった東北地方で育つ高品質な原木。
それが一切入ってこなくなってしまったのです。
今後100年は原発被害の影響で使う事が出来ないというものでした。
国内に数えるほどしか残っていない原木シイタケ農家にとっても、これは死活問題。
いや、東北以外にも原木を育てている地域はあるでしょう?
そこから仕入れれば良いのでは?
でも、問題はそう簡単な話ではなかったのです。
原木が手に入らない…
簡単にいうと…
ほぼ唯一の大産地である東北地方の原木が失われてしまった事により、全国各地で原木不足が発生。
地元のシイタケ農家さん含め原木を必要とする方々が一斉に原木を買い集める事で、数少ない国内の他の原木生産地から、高値で全て原木が実質買い占められてしまうという事態に至ったのです。
当然、原木の価格は高騰し今や2倍近くまで跳ね上がり、2024年も迎えた今尚まだまだ上がり続けているのが現状です。
全国の原木が価格高騰と品不足により、我々のような農家には原木が入手できなくなってしまったのです。
最後の追い打ちはあのウイルス
拡大を続けていたはずのしいたけブラザーズも、やむを得ず規模を縮小せざるを得ない状況に追い込まれていました。
何せ、もととなる原木が手に入らないのですから。
そんな中で迎える2020年コロナ禍。
今度は卸先である飲食店様が大変な事態となってしまいました。
売上が激減した飲食店様は、背に腹かえられない状況。
コスト削減必須の中で、シイタケも原木から菌床へと乗り換えられていったのです。
大手取引先様から呼び出しを受け、最後の試練へと追い込まれる私。
そこで放たれた言葉は残酷なものでした。
『安価な菌床へシフトしないなら
取引を停止する』
私は、ここでもう一度問われる事になったのです。
菌床シイタケなのか?
原木にこだわる姿勢を貫くのか?
全身が震えるのを止める事はできませんでした。
家族を守る大黒柱としての私、そして原木シイタケに懸ける想い。
天秤になどかけられない二者択一
まさに人生の岐路。
そのとき、また頭によぎるのはあの父の言葉。
そして、アパレル会社でのラベルを貼り替えウソにまみれた営業。
自分の子供に自信を持って食べさせられるのは、原木シイタケでしかありえない。
こぶしを握り締め、頬を涙が伝うのを感じながらの私の返答は…
NO!
『菌床シイタケにはシフトしません。原木で貫きます。』
そうして2022年には取引停止。
それでも私の想いは変わりません。
今なお、厳しい状況ではありますが原木シイタケに命を懸け、後世に残したい一心で毎日一生懸命育てています。
もちろん、品質と味には絶対の自信があります。
私が命を懸け、守り抜いてきたこの原木シイタケの火を絶やす事なく繋いでいきたい。
そんな原木シイタケをもっとたくさんの方に知って食べてほしい!
そうして、このMakuakeプロジェクト実施を決意しました。
是非、この原木シイタケを未来の子供たちにも食べてもらえるよう、応援購入頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願い致します!
リターンについて
今回のプロジェクトでは、皆様からの応援購入を賜り、一緒にこの原木シイタケを守っていきたい考えております。
ご共感頂けました方、本物のシイタケを食べてみたい!という方はぜひ応援購入お願い致します。
今回、応援購入頂けた方にはこんなリターンをご用意させて頂きました!
■原木シイタケ満足セット
贅沢に800g分(約しいたけ40本)を詰め合わせたセットを発送させて頂きます。
市場ではほとんど手に入らない希少な原木シイタケを是非ご堪能くださいませ。
※賞味期限:ご到着から約10日間を目途にお召し上がりください。(要冷蔵)
他にも精一杯のリターンをご用意させて頂きましたので是非リターン欄の方もみて頂けますと幸いです。
皆様からの応援購入を心待ちにしております。
PS.原木シイタケの新たな可能性
長文ここまでお読み頂き本当にありがとうございます。
ココからは原木シイタケの未来のお話。
最後に少しだけ耳を傾けて頂けますと幸いです。
私自身、原木シイタケと共に長年闘い続ける中で、
『どうすれば原木シイタケは生き残れるのか?』
常にこの可能性への模索は行ってきました。
その中で、直近一つ小さな光を灯し始めた”可能性”についてのお話。
そのカギは、乾燥シイタケにしたときに増加するビタミンDです。
元々、乾燥シイタケにはビタミンDが豊富で、お医者さんからも勧められたりしたことがある方も多いかと思います。
太陽の恵みをたっぷりと浴び、原木からのエネルギーを吸収した原木シイタケ。
それを乾燥させた原木乾燥シイタケならではのビタミンD。
実は、私は菌庄シイタケが入ってき始めた時から、このビタミンDを何とか増やせないかと20年以上研究を重ねてきました。
そうして、限界までビタミンDを増やした健康のためのスーパーフード。
それが、今回リターンの一部でお渡しする原木乾燥シイタケ顆粒です。
<商品詳細>
名称:しいたけ顆粒
原材料名:粉末乾しいたけ(岐阜県内製造、原木、岐阜県産)
特定原材料8品目該当なし
内容量:1包1g(一週間お試し:7包入りで7g,一か月分一箱は30包入り30g)
賞味期限:2025年9月22日
保存方法:直射日光、高温多湿をさけて常温で保存してください。
販売者:御茸
岐阜県加茂郡川辺町上川辺1248
製造所:(有)浪花昆布茶本舗第一工場
大阪府八尾市八尾木北1-10
直近ようやく、製品として完成しつつあります。
まだまだ一般に製品化するにはコストが高く、試行錯誤の段階ではありますがクオリティは前述の通りです。
今回応援購入頂きました皆様には、こちらも一般に流通する前段階にて是非お試しいただき、一緒に原木シイタケの可能性を追いかけて頂けますと幸いこの上ございません。
原木シイタケを後世に残す為、是非とも応援賜れます様お願い申し上げます!
資金の使い道
本プロジェクトにて応援購入賜りました資金につきましては、次年度の原木シイタケ栽培に必要な経費として下記のものの一部として大切に使わせて頂きます。
<年間でかかる原木シイタケ栽培経費概要>
・原木代 200万円
・菌代 200万円
・資材費 150万円
・人件費 100万円
原木シイタケ存続の為にもどうぞよろしくお願い致します。
スケジュール
2024年4月上旬:Makuake開始
4月下旬:Makuake終了
5月以降:随時リターン発送
(リターンによっては7月発送のものもございますので、詳しくはリターン詳細欄をご覧ください。)
このようなスケジュールを予定しております。
私の想いとプロフィール
この世に生きる全ての動植物は自然からの恵みを受けて命が繋がれています。
今は何事も不自然なことが多いので、私は原木しいたけを通じて自然を守り、地球環境の再生と人々の心身の健康と尊い命を守ります。
どうぞ応援購入をよろしくお願いいたします。
横田 千洋
1974年岐阜県生まれ
岐阜農林高校卒業
アパレル営業
アメリカ渡米
帰国後原木しいたけ生産者
現在に至る
リスク&チャレンジ
本文中に記載させていただいたスケジュールは、あくまでプロジェクト公開時点の予定です。 応援購入の性質上、配送遅延のおそれがございます。 原則として、配送遅延に伴う応援購入のキャンセルはできませんが、 リターン配送予定月から 3ヶ月 を超えた場合には、希望者に限りキャンセルにて対応させていただきます。
サポーターからの応援コメント
文章のTOPへ
このプロジェクトはAll in型です。目標金額の達成に関わらず、プロジェクト終了日の2024年04月28日までに支払いを完了した時点で、応援購入が成立します。
【応援プラン】御礼メッセージ
3,000円(税込)
感謝の気持ちを込めましてMakuakeメッセージにてお礼のメッセージを送らせて頂きます。
pdf手書き御礼メッセージとなります。
どうぞよろしくお願い致します。
適格請求書発行事業者登録番号:あり
(適格請求書発行事業者登録番号の記載のあるインボイスが必要な場合は、Makuakeメッセージにて実行者に直接お問合せください)
原木シイタケ満足セット
6,000円(税込)
収穫したての刺身でも召し上がって頂ける新鮮な原木シイタケを送らせて頂きます。
【内容量】
原木シイタケ800g(約40本)
応援購入頂きました方へ順次発送させて頂きます。
※賞味期限:ご到着から約10日間を目途にお召し上がりください。(要冷蔵)
適格請求書発行事業者登録番号:あり
(適格請求書発行事業者登録番号の記載のあるインボイスが必要な場合は、Makuakeメッセージにて実行者に直接お問合せください)
原木シイタケ&シイタケ顆粒セット
12,000円(税込)
収穫したての刺身でも召し上がって頂ける新鮮な原木シイタケを送らせて頂きます。
合わせて一般市場流通前の乾燥原木シイタケ顆粒をお付けいたします。
【内容量】
原木シイタケ1200g(約60本)
原木シイタケ顆粒お試しセット(7日分)
応援購入頂きました方へ順次発送させて頂きます。
※賞味期限:ご到着から約10日間を目途にお召し上がりください。(要冷蔵)
適格請求書発行事業者登録番号:あり
(適格請求書発行事業者登録番号の記載のあるインボイスが必要な場合は、Makuakeメッセージにて実行者に直接お問合せください)
原木シイタケ収穫体験
12,000円(税込)
農場見学及び、実際に収穫体験をして頂き、その場で焼いてお召し上がりいただけるプランとなります。
日程等の詳細は個別に応援購入者様にMakuakeメッセージ送らせて頂き、2024年5/1~10/30の間にて調整させて頂きます。
※上記お一人様分のプランとなります。
※原木シイタケは取り放題ではございません。
(1名様につき約5本程度の収穫体験となります)
※複数名様にてご参加希望の場合には、お手数ですが人数分の応援購入をよろしくお願い致します。
※現地集合、現地解散となり、開催場所は下記となります。
【住所】岐阜県加茂郡白川町黒川1788-7
※現地までの交通費はサポーター様のご負担となりますのでご了承くださいませ。
適格請求書発行事業者登録番号:あり
(適格請求書発行事業者登録番号の記載のあるインボイスが必要な場合は、Makuakeメッセージにて実行者に直接お問合せください)
希少な特大サイズ原木シイタケ1kgセットプラン
60,000円(税込)
全体の3%程度しか収穫できない特大サイズのシイタケのみを厳選してお届けいたします。
(通常ではほぼ市場に流通していないものとなります)
・特大サイズの原木シイタケ1kg
(ギフト梱包させて頂き、ご要望の住所に発送させて頂きます。)
・原木シイタケ顆粒30日分
応援購入頂きました方へ順次発送させて頂きます。
※賞味期限:ご到着から約10日間を目途にお召し上がりください。(要冷蔵)
適格請求書発行事業者登録番号:あり
(適格請求書発行事業者登録番号の記載のあるインボイスが必要な場合は、Makuakeメッセージにて実行者に直接お問合せください)
希少な特大サイズ原木シイタケ5kg分ギフトセットプラン
200,000円(税込)
全体の3%程度しか収穫できない特大サイズのシイタケのみを厳選してお届けいたします。
(通常ではほぼ市場に流通していないものとなります)
・特大サイズの原木シイタケ1kg x 5セット
(ギフト梱包させて頂き、それぞれご要望の住所に発送させて頂きます。)
・原木シイタケ顆粒30日分 x 5セット
大切な方への贈り物などにご活用頂けますと幸いです。
※賞味期限:ご到着から約10日間を目途にお召し上がりください。(要冷蔵)
適格請求書発行事業者登録番号:あり
(適格請求書発行事業者登録番号の記載のあるインボイスが必要な場合は、Makuakeメッセージにて実行者に直接お問合せください)
「Makuake(マクアケ)」は、実行者の想いを応援購入によって実現するアタラシイものやサービスのプラットフォームです。このページは、 フードカテゴリの 「【至極の美味】原木シイタケを守りたい!肉厚ジューシーな森の恵みをご堪能ください」プロジェクト詳細ページです。