で手に入れよう
プロジェクトを掲載したい方はこちら

あなたの応援購入

応援購入したリターン

応援購入金額

0

など

シェア支援

シェアを見て訪問

シェアを見て支援

プロジェクトの期間が終了しました

シェア支援リンク
仲間にプロジェクトを紹介しよう

あなた専用のシェア支援リンク

シェア支援リンクなら、あなたのシェアで
何人がプロジェクトにやってきたか確認できます

コピーしました

石原裕次郎メモリアル「コンテッサⅢ」移設保存プロジェクト

戻す

ストーリー

  1. 昭和の大スター石原裕次郎がこよなく愛したヨット「コンテッサⅢ」を第2の故郷小樽に残す取組です。
  2. コンテッサⅢは今年で建造から55年が経過して老朽化が激しく保存の為のリフレッシュが不可欠です。
  3. リフレッシュ作業により保存に耐えられる美しい艇体の復活を目指します。

石原裕次郎記念館は平成3年(1991年)小樽にオープンしましたが、施設老朽化等の影響で平成29年8月(2017年)閉館しました。今回のプロジェクトは裕次郎さんがこよなく愛した「コンテッサⅢ」を隣接するマリーナに移設展示するという取組に支援をお願いするものです(写真はワイキキ沖をコンテッサⅢでセーリングする裕次郎さん)。コンテッサⅢのそばに、移設費用へご協力頂いた支援者の皆様のお名前を記念プレートに記載して、設立予定です。また、事業推進組織として任意団体、裕次郎メモリアル「コンテッサⅢ」保存会を2018年5月に設立いたしました。

裕次郎メモリアル「コンテッサⅢ」保存会は会長に森井秀明小樽市長、副会長に西條文雪小樽観光協会会長に就任頂き、石原プロモーション様には特別協力を頂き活動を推進しています。

 

石原裕次郎記念館は小樽市が観光都市として注目を浴びる以前から小樽市の観光振興に永く寄与してきました。また、当マリーナと一体となり小樽市築港(チッコウ)地区の活性化に寄与頂きました。石原裕次郎記念館は閉館いたしましたが、記念館のシンボルでもあった「コンテッサⅢ」を保存することで石原裕次郎さんの足跡を小樽に残したいと考えています。

 

石原裕次郎さんは生涯にわたってヨットをこよなく愛しました。ヨットマンとして兄慎太郎氏ともども広くヨットマンの間では知られていました。また、昭和38年(1963年/東京オリンピックの前年!)に「コンテッサⅢ」を横浜市の岡本造船所で建造し、同年、ロスアンジェルスからハワイ・ホノルルまでを結ぶトランスパックヨットレースに参加、コンテッサⅢは1963年、1965年、1973年とレースに参戦、計3回エントリーし、裕次郎さんもオーナーとしてレースに参加しています。「コンテッサⅢ」は建造後ハワイのマリーナに保管されて、トランスパックヨットレースだけではなくハワイで行われた外洋レースパンナムクリッパーレース等、数多くのエントリーをしています(ハワイ沖でセーリング中の一コマ。写真中央、鉢巻を巻いている裕次郎さん)。

裕次郎さんは、ハワイが本当に好きで毎年ハワイで過ごす機会を作っていました。その際は必ずといってよいほど「コンテッサⅢ」でセーリングを楽しみ、病魔に侵された後も可能な限りハワイで過ごす機会を作り、体調が良ければ自らハンドル(ティラーと言います)を握ってセーリングを楽しんでいました。(ワイキキ沖での休日、セーリングを楽しむ裕次郎さん)。「コンテッサⅢ」は裕次郎さんが亡くなられた後、しばらくハワイで保管していましたが記念館の開館後の平成10年(1998年)にハワイから運ばれ記念館に展示されていました。石原裕次郎記念館では、裕次郎さんゆかりの品々を公開しておりました。平成29年8月(2017年)の閉館後、それらの貴重な展示品の中から、ロールスロイスは小樽市総合博物館に寄贈され展示されていますが、裕次郎さんが生前こよなく愛したヨット、「コンテッサⅢ」を小樽港マリーナに保存、展示し、石原裕次郎さんが小樽に残した足跡と、それを記念する施設が存在していた事実を末永く伝えていきたいと考えております。

 

小樽港マリーナでは、平成30年5月17日に石原裕次郎記念館跡地からマリーナ内への移設工事を実施しました。移設費用、裕次郎メモリアルコーナー及び維持には約800万円が必要です。また、艇体のメンテナンス、保護カバー等の作成にも更に約200万円程度の費用が必要になります(5月17日コンテッサⅢ吊り上げ作業)。

 そこで全国の石原裕次郎さんのファン及び市民の皆様に、この「コンテッサⅢ」を大切に保存し、展示を継続していくための御支援をお願いをする次第です。

 今回、保存活動及び昭和の大スター石原裕次郎の足跡を残す為の活動を推進する為、森井小樽市長を会長とし「裕次郎メモリアルコンテッサⅢ保存会」を設立、活動資金の一部を募金させて頂く取組を始めることと致しました。そのスタートとして平成30年6月9日に移設セレモニーを開催いたしました。保存会会長の森井市長をはじめ「コンテッサⅢ」のオーナーでもある石原裕次郎さんの夫人まき子さんにも参加頂き広く周知する活動を始めました。まき子夫人は冒頭「コンテッサⅢは女房よりも大事と言っていた」とエピソードを交え保存活動に対する期待を述べました。

 

石原裕次郎記念館は閉館しましたが、裕次郎が愛した「コンテッサⅢ」を末永く小樽港マリーナに保存展示するため、皆様のご支援をお願い致します。

今回のご支援に対する御礼として石原プロモーションのご協力で以下のリターンをご用意いたしました。

①5,000円コース(先着250名様)
・移設記念プレートへの支援者名記載
 移設費用へご協力頂いた支援者の皆様のお名前を記念プレートに記載いたします。
・「西部警察」もしくは「さよなら横浜ジャケットマグネット」
 アクションドラマに出演していた石原裕次郎、渡哲也、舘ひろしが印刷 された西部警察ないし1971年のヒット曲さよなら横浜のジャケットマグネットのいずれかを 差し上げます。

②10,000円コース(先着55名様)
・移設記念プレートへの支援者名記載
 移設費用へご協力頂いた支援者の皆様のお名前を記念プレートに記載い たします。
・石原まき子著「告白の記逢いたい」
 石原裕次郎夫人まき子さんが裕次郎さんへの思いを記したエッセイ

③10,000円コース(先着50名様)
・移設記念プレートへの支援者名記載
 移設費用へご協力頂いた支援者の皆様のお名前を記念プレートに記載い たします。
・女優、北原三枝写真集進呈

④30,000円コース(先着30名様)
・移設記念プレートへの支援者名記載
 移設費用へご協力頂いた支援者の皆様のお名前を記念プレートに記載い たします。
・石原裕次郎写真集「昭和の太陽 石原裕次郎」
・小樽港マリーナ観光クルージング乗船券

⑤100,000円コース(先着10名様)
・移設記念プレートへの支援者名記載
・石原裕次郎写真集「昭和の太陽 石原裕次郎」
・石原まき子さん直筆サイン入り著書「告白の記逢いたい」
・石原裕次郎ベストCD 

⑥100,000円コース(先着5名様)
・移設記念プレートへの支援者名記載
・石原裕次郎写真集「昭和の太陽 石原裕次郎」
・石原まき子さん直筆サイン入り著書「告白の記逢いたい」
・北原三枝写真集
 

詳しくはリターン内容をご確認ください。

最愛のまき子夫人が最後まで保存に思いをはせた「コンテッサⅢ」をマリーナで保存する活動を継続したいと思います。

 

皆様のご支援をお願い致します。

 

裕次郎メモリアル「コンテッサⅢ」保存会事務局長の角野章と申します。

現在は小樽港マリーナを運営する㈱マリンウェーブ小樽代表取締役専務として小樽港マリーナの経営に当たっています。小樽港マリーナは平成2年1990年に開業いたしました。石原裕次郎記念館はマリーナ開業の翌年隣接地にオープンし、26年間一緒に歩んで参りました。昨年の閉館は非常に寂しいものがありましたが、今回、コンテッサⅢを移設しマリーナ内に保存することで裕次郎さんの思いを感じて頂ければと考えています。皆様のご協力をお願い致します。

《石原裕次郎さん略歴》

昭和の大スター石原裕次郎さんは昭和9年(1934年)神戸市に生まれました3歳から9歳まで、海運会社に勤務するお父様の転勤の関係で3歳から9歳まで、兄、慎太郎と小樽で過ごしました。後年、「小樽は第二の故郷」と呼び、まき子夫人と結婚後も何度もお訪れていました。

裕次郎さんは、昭和31年(1956年)兄、慎太郎さんのデビュー作「太陽の季節」で慶応大学在学中でしたが映画出演しました。 その後、「狂った果実」で本格的にデビュー、日活の大スターとして数多くの映画に出演しています。まき子夫人(女優北原三枝)とは昭和35年(1960年)に結婚、そして昭和37年(1963年)「面白く楽しい映画、客の誰もが喜ぶ誠実さを持った映画を作りたい」と語り28歳の誕生日に石原プロモーションを設立しました。

その後、石原プロモーションとして石原裕次郎主演「太平洋ひとりぼっち」を製作、ブルーリボン賞企画賞を受賞する等、順風満帆のスタートを切りました。また、三船プロと提携、5社協定の壁を乗り越え「黒部の太陽」を製作するなど革新的な取組を推進し、それまでの映画界の常識を覆す取組を続けました。

また、黎明期を迎えつつあったテレビへも進出、昭和47年7月からスタートした「太陽にほえろ!」では松田優作をはじめとする新人俳優を多数輩出、その後「大都会」シリーズ「西部警察」等では渡哲也を中心に一時代を築き、このころから石原軍団のボスとして長きに渡り活躍しました。また、歌手としても「銀座の恋の物語」等数多くのヒット曲を世にだしていきました。

一方で、昭和53年(1978年)44歳、舌ガンを発症、その後昭和57年(1981年)大動脈瘤の大手術、昭和59年(1984年)幹細胞ガンと診断され、その後、闘病生活を送りながら芸能活動を継続しましたが、昭和62年(1987年)2月ハワイにて「わが人生に悔いなし」「北の旅人」を収録。4月20日帰国、7月17日慶応大学病院で52歳の生涯を閉じました。

 

 

サポーターからの応援コメント

文章のTOPへ

応援購入する

このプロジェクトはAll in型です。目標金額の達成に関わらず、プロジェクト終了日の2018年09月28日までに支払いを完了した時点で購入が成立します。

支援者名記載&西部警察ジャケットマグネット

5,000円(税込)

残り
のサポーター
2018年10月末までにお届け予定

・移設記念プレートへの支援者名記載
 移設費用へご協力頂いた支援者の皆様のお名前を記念プレートに記載い たします。
・「西部警察」もしくは「さよなら横浜マグネット」(先着200名様)
 アクションドラマに出演していた石原裕次郎、渡哲也、舘ひろしが印刷 された西部警察ないし1971年のヒット曲さよなら横浜のいずれかを 差し上げます

支援者名記載および北原三枝写真集

10,000円(税込)

残り
のサポーター
2018年10月末までにお届け予定

・移設記念プレートへの支援者名記載
 移設費用へご協力頂いた支援者の皆様のお名前を記念プレートに記載い たします。
・女優、北原三枝写真集進呈

支援者名記載および石原まき子著「告白の記逢いたい」

10,000円(税込)

残り
のサポーター
2018年10月末までにお届け予定

・移設記念プレートへの支援者名記載
・石原まき子著「告白の記逢いたい」
 石原裕次郎夫人まき子さんが裕次郎さんへの思いを記したエッセイ

支援者名記載および石原裕次郎写真集および小樽港マリーナ観光クルージング乗船券

30,000円(税込)

残り
のサポーター
2018年10月末までにお届け予定

・移設記念プレートへの支援者名記載
・石原裕次郎写真集「昭和の太陽 石原裕次郎」
・小樽港マリーナ観光クルージング乗船券

支援者名記載&石原裕次郎セットA

100,000円(税込)

残り
のサポーター
2018年10月末までにお届け予定

・移設記念プレートへの支援者名記載
・石原裕次郎写真集「昭和の太陽 石原裕次郎」
・石原まき子さん直筆サイン入り著書「告白の記逢いたい」
・石原裕次郎ベストCD

支援者名記載&石原裕次郎セットB

100,000円(税込)

残り
のサポーター
2018年10月末までにお届け予定

・移設記念プレートへの支援者名記載
・石原裕次郎写真集「昭和の太陽 石原裕次郎」
・石原まき子さん直筆サイン入り著書「告白の記逢いたい」
・北原三枝写真集

「Makuake(マクアケ)」は、実行者の想いを応援購入によって実現するアタラシイものやサービスのプラットフォームです。このページは、 地域活性化カテゴリの 「石原裕次郎メモリアル「コンテッサⅢ」移設保存プロジェクト」プロジェクト詳細ページです。

シェアで応援

PAGE TOP